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■曲の情報

438番「川のような平安が」

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TUNE = IT IS WELL (VILLE DU HAVRE)
初行 = When peace, like a river
分類 = 信仰の歩み・平安
主題 = 平安 
聖句 = 詩篇55篇18節, コロサイ人への手紙3章15節
採用歌集番号 = 『聖歌』476番 (改訳)

作詞:Horatio G. Spafford,1828-1888 (CH)

作曲:Philip P. Bliss,1838-1876 (CH)

 サンキーのことばより
 D・L・ムーディーと私が1874年にエジンバラで大会を開いていたとき、私たちはVille de Havreというフランスの蒸気船の悲劇的な事故のニュースを聞きました。船はアメリカからフランスへ戻る途中で、乗客の大半は、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアで開催されたエキュメニカル会議に参加して帰ろうとした人々でした。蒸気船には、スパフォード夫人と4人の子ども達も乗っていました。大西洋の真ん中で、大きな帆船と衝突事故が発生し、蒸気船はほんの30分ほどで沈没してしまいました。乗客のほとんどが犠牲となりました。スパフォード夫人も子ども達を船室から連れ出して甲板へ上りました。生存者の話では、今にも沈み掛けている船の上で、スパフォード夫人は子ども達と一緒にひざまずいて祈りをささげ、可能であれば救出されるようにと神に祈り、またもし命を落とすことになってもそれが御心なら委ねます、と祈ったそうです。数分後に船は海底に沈み、4にの子ども達は亡くなりました。船の水夫の一人ロッカーンは、(後にスコットランドで私は本人と会いました)救命ボートで船の沈んだ当たりに来たとき、スパフォード夫人が水中に浮かんでいるのを発見、救出しました。十日後、彼女はウェールズのカーディフに上陸。そこからイリノイ州シカゴで弁護士をしていた夫のスパフォードに電報を打ち、ただ一人生き残ったことを伝えたのです。クリスチャンであったスパフォード氏は、その伝法を額に入れて事務所に飾ったそうです。彼はただちに、妻をシカゴに連れて帰るべく、英国に出発しました。ムーディー師は、エジンバラでの集会のために残っていましたが、愛する子ども達を失った両親を慰めるために、リバプールを訪問しました。そしてこの両親が、「神の御旨に内になされたと信じます。心に平安があります」と語ることができる姿を見て、大きな感動を覚えたそうです。
1876年、私たちはシカゴでの働きのために戻りますが、数週間の間、スパフォード夫妻の自宅に招かれ、滞在を楽しみました。その間に、スパフォード氏は子どもたちの死を心に思い起こしながら、この讃美歌「川のような平安が」を書いたのです。P・P・ブリスが直ぐに曲をつけ、ファーウェルホールでの伝道集会で初めて讃美されました。この出来事にまつわる慰めの事実があったことが、ノースシカゴの小さな集会で証しされました。それは、あの4人の子どもたちが、ヨーロッパへ船出する直前に、主イエス様の救いに与っていたという事実です。
 この讃美歌は、1899年の変動の中で深刻な経済危機に陥り、意気消沈している一人の紳士の心にも響きました。彼がこの讃美歌が誕生した背景となる物語を聞いたとき、彼はこう叫んだといいます。「あのような悲しみを越えたスパフォード氏がこれほど美しい信頼の讃美を書くことができるのなら、私も二度と再び現状に不平を言うことはすまい」と。
Sankey, pp. 168–70


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訳詞:©中山信児