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Andreas Hammerschmidt, 1612-1675

『教会福音讃美歌』掲載曲

作曲:503番「主にあるものみな」


誕生:1611年頃、ボヘミア、ブリュクス(現在、チェコ、モスト)
死亡:1675年10月29日、ドイツ、ツィッタウ

ツィッタウ生まれの優れた音楽家であったアンドレアス・ハンマーシュミットは、「ツィッタウのオルフェウス」と呼ばれた。バロック時代初期から中期の作曲家でありオルガン奏者でもあった。17世紀半ばにおいて、彼はドイツで最も重要で有名な宗教音楽作曲家の一人だった。
ザクソン人の父と、ボヘミア人の母との間に生まれたハンマーシュミットは、ボヘミアがカトリックに改宗したため、三十年戦争の間、家族でボヘミアから逃げなければならなかった。彼らはザクセンのフライベルクに落ち着いた。ハンマーシュミットはここで音楽教育を受けたと考えられる。フライベルクには初期バロック時代の有名な音楽家が数多く活動していた。誰がハンマーシュミットに教えたのか定かではないが、彼はそこにいる間に優れた音楽教育を受けた。
ハンマーシュミットは、1633年にフライベルクを去り、師のステファン・オットの紹介によりヴェーセンシュタインのルドルフ・フォン・ビューナウ伯爵のもとでオルガニストの職を得たが、翌年にはフライベルクに戻った。まもなく結婚し、6人の子をもうけたが、3人は幼くして亡くなった。1639年、再びフライベルクを去ってツィッタウに移り、クリストフ・シュライバーの後を継いでオルガニストとなった。彼は生涯、この職を務めた。ツィッタウでの音楽活動は、三十年戦争によって深刻な被害(聖歌隊の縮小、音楽的水準の下降など)を受けたが、彼は生き残った。そして1648年に戦争が終わると、徐々にではあるが音楽活動はかつての高水準まで回復していった。
ツィッタウにおけるハンマーシュミットの活動記録は、1757年に七年戦争でオーストリアにより町が破壊された時に焼失し、断片的にしか残っていない。しかしこの時期、ハンマーシュミットはドイツにおいて最も知られた作曲家の一人であり、ハインリヒ・シュッツ以降の世代において最も有名な、コンチェルタート形式の代表者となっていた。彼はたいへん尊敬され、多くの点での熟達者であったが、怒りっぽく、時々喧嘩に巻き込まれていたようである。彼はまた、音楽家そして市民の指導者としての活動によって利益を得ていたようで、町に家屋、田舎に地所を持ち、見るからによい暮らしをしていたようである。

作曲作品:
Freuet Euch, Ihr Christen