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Timothy R. Matthews, 1826-1910

『教会福音讃美歌』掲載曲

作曲:101番「私のため栄えすて」


ティモシー・R・マシューズ

誕生:1826年11月4日、コルムワース(ベッドフォード近郊)、イングランド。
死亡:1910年1月5日、テットニー、リンカンシャー、イングランド。
埋葬地:テットニー、リンカンシャー、イングランド。

コルムワース(Colmworth)の教区牧師の息子であったマシューズは、ケンブリッジのベッドフォード・グラマー・スクール(Bedford Grammar School)と、ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ(Gonville and Caius College, MusB 1853)で学んだ。卒業した年に、ウィンザー城のセント・ジョージ・チャペルの聖堂参事であった牧師、ライオセスリー・ラッセル卿(Rev. Lord Wriothesley Russell)の家庭教師になった。そこでは、オルガニストのジョージ・エルヴィー(George Elvey)のもとで勉強した。彼とはその後、生涯に渡って友人であった。1853~59年、ノッティンガムのセント・メアリー教会(St. Mary’s Church)の助任司祭、1859~69年には担当司祭を務めた。この間、彼は「ノッティンガム労働者協会(Nottingham’s Working Men’s Institute)」を設立した。1869年には、リンカンシャーのノースコーツの教区牧師となった。1907年、長男と共にテットニー牧師館で暮らすために引退した。マシューズは「North Coates Supplemental Tune Book」と「The Village Organist」を編集した。また朝と夜の礼拝の詠唱と応答を作曲し、100以上の単純かつ印象的な讃美歌の作曲により高い評価を得た。ウィリアム・ハワード(William Howard)が、子どもの讃美歌集のために6曲の作曲を依頼したところ、マシューズは1日で作り上げたという。マシューズはまたクリスマス・キャロルなども作曲した。彼の2人の息子たち、ノートン(Norton)とアーサー・パーシー(Arthur Percy) も、讃美歌の作曲家として知られている。

作曲作品:
Bromham
Chenies
Cleethorpes
Edgbaston
Ludborough
Storrs
Margaret
New Radnor
North Coates
Reynoldstone
Scartho
Village Vespers
Winthorpe