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Joachim Neander, 1650-1680

『教会福音讃美歌』掲載曲

作詞:19番「素晴らしき主」
作詞:240番「ほめたたえよ、力強き主を」

作曲:19番「素晴らしき主」
作曲:155番「すべての力とすべての国は」


Joachim Neander (1650-1680)

誕生:1650年、ドイツ、ブレーメン。
死亡:1680年5月31日、ドイツ、ブレーメンにて肺結核により。

音楽家の孫、教師の息子だったNeanderはブレーメン大学で神学を学ぶ(1666-70)。彼の苗字はNeumann (new man、新しい人)であったが、彼の祖父(説教者でもあり、彼の名前もJoachimだった!)は、当時の流行にならって、外国風、この場合はギリシャ風に改めた。

1671年にNeanderは自分の書斎をハイデルベルク(ミュージカルのThe Student Princeの舞台)に移した。1763年にはフランクフルトに移り、そこで敬虔主義の学者であったPhilipp Jakob Spener (1635-1705)やJohann Schutz (1640-90)に出会った。


1674-79年にデュッセルドルフにあったNeanderは改革派ラテン語学校(小学校)の好調になる。その頃、彼はよくデュッセル川の渓谷をあてもなく歩き回っていた。そのあたりは19世紀まで、岩場と森に囲まれた深い峡谷であり、多くの洞穴や洞窟、滝などがある場所だった。彼はおそらく多くの彼の詩を書いたり歌ったりし、また集会や礼拝をそこで持っていた。

19世紀に入ると、大きな洞窟の一つが彼の名前をとってネアンダーホールと名付けられた。19世紀の半ばには、セメント工場が石灰岩を採掘し始め、狭い峡谷は広い谷に変わり、今やネアンダーの谷(ドイツ語ではネアンデルタール)と呼ばれるようになった。1856年の夏に、ネアンデルタール人がそこで発見され、Joachimは唯一の古代人の名前が取られた讃美歌作家となったのである!

1679年に、Neanderはブレーメンに移り、セント・マルティニ教会の副牧師として働いた。翌年、彼は重病に陥り、亡くなった。

参考資料:
Findagrave、2018年1月12日現在。
Hustad (Donald Paul Hustad、『Dictionary-Handbook to Hymns for the Living Church』、Carol Stream, Illinois: Hope Publishing Company, 1978)、pp. 292-93
Julian (John Julian、『Dictionary of Hymnology, second edition』、London: J. Murray, 1907)、pp. 417, 508, 525, 683, 790, 1057, 1143, 1544
Stulken (Marilyn Kay Stulken、『Hymnal Companion to the Lutheran Book of Worship』、Philadelphia, Pennsylvania: Fortress Press, 1981)、pp. 267-68
ウィキペディア、2016日11月5日現在。

作詞作品:
Auf, Auf, Mein Geist, Erhebe Dich zum Himmel
Der Tag Ist Hin, Mein Jesu, bei Mir Bleibe
Grosser Prophete, Mein Herze Begehret
Heaven and Earth, and Sea and Air
Jehovah Ist Mein Licht und Gnadensonne
Lobe den Herren
Praise to the Lord, the Almighty
Meine Hoffnung Stehet Feste
All My Hope Is Firmly Grounded
All My Hope Is Fixed and Grounded
All My Hope on God Is Founded
O Allerhochster Menschenhuter
Unbegreiflich Gut, Wahrer Gott Alleine
Unser Herrscher, Unser Konig
Wie Fleucht Dahin der Menschenzeit
Wo Soll Ich Hin? Wer Helfet Mir?
Wunderbarer Konig

作曲作品:
Arnsberg
Coblentz
Unser Herrscher