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Edward Perronet, 1726-1792

『教会福音讃美歌』掲載曲

作詞:30番「御前にひれふし」


Edward Perronet (1726-1792)

誕生:1726年、英国ケント州サンドリッジ。
死亡:1792年1月2日、英国ケント州カンタベリー。
埋葬地:英国ケントのカンタベリー大聖堂。

Perronetは英国国教会の牧師で、ケント州ショアハムの司祭であったEdward Perronetの息子。家族の祖先は、宗教弾圧を逃れて大陸を後にしたフランスのユグノー家。Perronetはしばらくの間、JohnとCharles Wesleyらと共に働いた。

Wesleyは長い間、Edward Perronetの説教を聴きたく願っていた。またPerronetもそれに気づいており、断固としてそれはすまい、と固く決心し、そうなりそうな機会を避けるべく努めていた。ある夜、Wesleyがロンドンで説教していたが、Perronet氏をチャペルで見かけ、彼の承諾を得ないまま、彼がそこで翌朝5時に説教する、と公表した。Perronetは会衆に敬意を払っていたので、公に抗議をして彼らの平和を乱したくなかったし、Wesleyに対しても尊敬を払っていたので、その命令に背きたいとは願わなかった。夜が過ぎた。Perronet氏は、姿は見せなくても、きっとチャペルのどこかにWesleyが潜んでいるに違いないと思い、賛美と祈りの後に、会衆に対して、自分がここに立っているのは自分の願いとは反対で、説教するように頼まれもしなかったし、同意もしていないこと、またWesleyに対する尊敬を表すために、自分の感情を押し殺していること、そこに無理して立っていること、自分が弱く、自分に与えられた仕事を果たすにはふさわしくないこと、そして、自分が取り次いだ中で一番優れた説教を会衆に伝えたいことを述べた。彼は聖書を開き、主の山上の説教の箇所を、彼自身のことばも、何の解説もコメントも加えずに読み進めた。そして彼はそのまま、賛美と祈りを以て礼拝を閉じた。これほどの効果を上げることを真似ることのできた人はいない。
Duffield, pp.17-18より引用。

作品を含む出版物:
Selected Passages from the Old and New Testament in Verse, 1756
A Small Collection of Hymns, 1782
Occasional Verses, Both Moral and Sacred, 1785
Perronetは、晩年をカンタベリーの組合教会で過ごした。

Charles Wesleyは彼の死に際して次のように記している:

ここに、土の天幕の中にある人の偉大さの
生ける象徴となった者が横たわっている
この荒野を彷徨う巡礼者、
葦のように弱く、子どものように力ないが、
その腕は信仰によって力強く、譲ることを教えられていない
しばしば悪魔の業を挫き、野を治めた。
戦いの中で恐れなく、闘争の中では恐れを秘め、
罪を征服したように、恐れを征服する。
彼の目は、強い息吹で闇を照らし、
死を追い出す主に注がれる
主の目からは敵の滅びが発射され
その息吹を聴いた地獄は震え上がる。
彼の目は、見上げた者の全てが受けるものを見上る
抵抗する力、信じる美徳、
父のむちの優しい譴責
それによって矯正されるなら、痛みが和らぐにつれ
不純物が取り去られ、彼のたましいはもう嘆くこともなく
翼を広げ、契約の箱が戻ってくる
偉大なる休息の箱が、受難者の住まいが、
イエスの御腕、神の箱が。

参考資料:
Findagrave、2018年2月3日現在。
Harvey (Robert Harvey、『Best-Loved Hymn Stories』、Grand Rapids, Michigan: Zondervan Publishing House, 1963)、pp. 16-18
Julian (John Julian、『Dictionary of Hymnology, second edition』、London: J. Murray, 1907)、pp. 889-91
ウィキペディア、2016年12月25日現在。

作詞作品:
All Hail the Power of Jesus' Name
Lord Is King!, The
O Grant Me, Lord, That Sweet Content