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Isaac Watts, 1674-1748

『教会福音讃美歌』掲載曲

作詞:37番「喜びの歌を主にささげよう」
作詞:121番「ああ主は誰がため」
作詞:122番「主イェスの死なれた」
作詞:127番「主イェスは尊き」
作詞:170番「聖霊きたりて」
作詞:196番「とこしえのみ座に」
作詞:225番「主は治められる」


誕生 July 17, 1674, Southampton, England.
召天 November 25, 1748, Stoke Newington, London, England.
埋葬地 Bunhill Fields, London, England.
神学博士号を持つアイザック・ワッツ師は、ロンドンのキリストの教会の牧師であり、ジョセフ・カーライル師やジョン・オウエン、デビッド・クラークソン、アイザック・チャンシー博士等の後継者である。彼は、健康的な弱さを抱えながらも、50年に亘って福音の奉仕をした。途中4年間は退屈な病床期間を過ごし、最後は主の憩いへと移された。
ワッツの父親は、その信仰的な見解の故に、二度に亘って投獄された経験を持つ非国教徒であった。アイザックは、サザンプトン・グラマースクールの校長であり、オールセインツの教区司祭でもあるピンホーン氏のもとでギリシャ語、ラテン語、そしてヘブル語を学んだ。アイザックの秀才ぶりは幼少時から顕著であり、地域の医者や友人たちから、彼が大学教育を受けられるように、そしてやがては国教会司祭になるまで支援しようとの約束を受けていた。しかし、アイザックはその道を辞退し、代わって1690年にストーク・ニューイントンにある非国教徒派のアカデミーに入学し、ガードラー・ホールの独立教会の牧師であったトーマス・ロウの指導を受けた。アイザックはやがて1693年にこの教会に加わったのである。
ワッツは20歳でアカデミーを去り、2年間を実家で過ごす。そしてこの期間に、その生涯における讃美歌や聖書に基づく歌の作品の大部分を書いたのである。その讃美歌は手書きの楽譜のままサザンプトンチャペルで歌われ、その後1707-09年に掛けて出版された。
続く6年間は、有名な清教徒ジョン・ハートップ家の子どもの家庭教師として働きながら、再びストーク・ニューイントンで過ごした。この時期の数年間の激しい学びは、後に彼の出版した神学的・哲学的な論文に結実している。 
 ワッツは、24歳の時に始めて説教をした。それに続く3年間、彼はしばしば説教をし、1702年にはマーク・レーンの独立教会の牧師として按手を受け任命された。その時に彼は、ミノリーズにあるホリス氏の家に引っ越しをした。続く数年、彼の健康は弱り始め、サムエル・プライス氏がその働きの補助者として指名された。1712年、ワッツが高熱で単調を崩す中、プライス氏は教会の協力牧師となってベリー・ストリートに新たなチャペルを建設して移った。この頃から、アイザックはトーマス・アブニー卿宅の客となった。そして、余生となった最後の日々を、主としてハートフォードシャーのセオバルドという場所で、アブニー卿(後にはアブニー卿の未亡人)と共に過ごし、それから13年間をストーク・ニューイントンで過ごした。
1728年、エジンバラ大学は、ワッツ師に神学博士号を授与した。ワッツ師の作品は以下の通り。
Speculations on the Human Nature of the Logos
Horæ Lyricæ and Divine Songs, 1706–09
Hymns and Spiritual Songs, 1707–09
Divine and Moral Songs, 1715
The Psalms of David (London: J. Clark, 1719)
Sermons, 1721–27
Catechisms, Scripture History, 1732
Reliquiae Juveniles (London: 1734)
Remnants of Time (London: 1736)
The Improvement of the Mind, 1741
Logic
The World to Come, 1745