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William Whittingham, 1524-1579
『教会福音讃美歌』掲載曲

作詞:188番「主はわがかいぬし」


ウィリアム・ウィッティンガム

誕生:1524年頃
死亡:1579年

ウィリアム・ウィッティンガムは、オックスフォードのカーディナル・カレッジ(クライスト・チャーチ)で学び(BA 1545)、その後フランス、ドイツ、スイスのジュネーブを旅し、1553年にイギリスに戻った。そして1554年にドイツのフランクフルト、1555年にジュネーブに移った。ジョン・ジュリアンは『讃美歌辞典 第二版』で、ウィッティンガムの移動を「マリアンの治世から逃れて」と記している。ジュネーブでウィッティンガムは、ジョン・カルヴァンの妹キャサリンと結婚し、ジョン・ノックスの後を継いで英国会衆の牧師になった。また『ジュネーブ聖書』(the Ge­ne­va Bi­ble)の翻訳で主導的な役割を果たし、亡命者の主力として留まってそれを完成させた。1560年5月30日、彼と仲間をもてなしてくれた治安判事に感謝の意を表した後、ジュネーブを発ってイギリスに向かった。しかし同年、ベッドフォード伯爵とワーウィック伯爵と共にイギリスを離れた。1563年ダーラムの学部長になり、そこでノックスと連絡を取り合った。ウィッティンガムは音楽を好み、大聖堂に韻律カンティクルの使用を導入したと言われている。大司教サンディスがダーラムを訪れた時、ウィッティンガムは彼に会うことを拒否した。サンディスは、彼を破門してジュネーブでカルヴァンから受けた叙階を無効にしようとしたが、決着がつく前、1579年に、ウィッティンガムは逝去した。ウィッティンガムは、英語で12篇、スコットランド語で16篇の詩篇を訳した。ジュリアンは述べている。「彼が詩篇の翻訳に与えた影響の第一は、スターンホールドの著作とホプキンスのヘブライ語の知識による初期の七つの詩篇の学術的改訂によるものであり、第二は1560年のキリスト教会でよく知られたフランス語の韻の模倣であった。」

作詞作品:
Attend, My Peo­ple, and Give Ear
Behold and Have Re­gard
Blessed Are They That Per­fect Are
Except the Lord the House Doth Make
Grudge Not to See the Wick­ed Men
I Lift Mine Eyes to Si­on Hill
Lord Is On­ly My Sup­port, The
Lord, to Thee I Make My Moan
Lord’s My Shep­herd, I’ll Not Want, The
Mighty God, the Eter­nal, Hath Thus Spoke, The
Now Is­ra­el May Say
O Lord Con­sid­er My Dis­tress
O How Hap­py a Thing It Is
Those That Do Put Their Con­fi­dence
When Is­ra­el by God’s Ad­dress
When That the Lord
When as We Sat in Ba­by­lon