■曲の情報
TUNE = GERALD
初行 = I heard the voice of Jesus say
分類 = 信仰の歩み・苦難と慰め
主題 = 慰め・励まし
聖句 = イザヤ書60章1-3節, ヨハネの福音書7章37節
採用歌集番号 = 『インマヌエル讃美歌』158番
作詞:Horatius Bonar,1808-1889 (CH) |
作曲:Louis Spohr,1784-1859 |
歌詞:ホラティウス・ボナー。『Hymns Original and Selected』(1846年)
曲:ルイス・シュポーア
エピソード:
ヘンリー・ウォード・ビーチャー (Henry Ward Beecher) が講壇に立った最後の時となった1887年3月6日のこと、彼は夕べの礼拝が終わった後もしばらく残って、聖歌隊の練習を聞いていた。するとこの讃美歌「疲れたる者よ」の演奏に非常に心動かされた。座ったまま聞いていると、通りがかりのアラブ人が2人、教会に入ってきて、その曲に聴き入っているのに気づいた。ビーチャーは降りていって優しく語りかけ、彼らを抱き寄せて口づけをした。この慈しみ深い行為が、讃美歌を聞いたことによるのか、それとも単に、不幸そうで可能性がまったく生かされていない2人を目の前にしての、彼の深く感情豊かな資質による反応だったのか、私達には分からない。しかし確かなのは、彼が教会で最後に聞いた崇高な言葉は、この讃美歌の「私は主イエスの声を聞いた~」という歌詞であったということだ。なぜならその数時間後には長い夜の影が、彼の天に属する魂の上に降りることとなったからである。(訳者注:ビーチャーはこの夜、脳卒中をおこし、目覚めぬまま2日後に亡くなった)。彼をこの世と繋いでいた銀の糸が解かれると、たとえ魂が74年間豊かに満たされてきた身体にとどまりたくても、たとえ天への旅立ちがためらわれても、目や感覚は閉ざされ、半世紀もの間に何千人もの聴衆がその語るのを聞いた口は語れなくなってしまう。しかし生涯が閉じられようというこの時、奴隷解放のために活躍した彼にふさわしいことに、この優しい讃美歌の与える霊感の元、彼は愛してやまない人類の代表として、通りがかりの2人のアラブ人をその胸に抱き寄せたのであった。」
『The Great Hymns of the Church』Morrison, Duncan著, Toronto, Canada: Hart & Company, 1890年) 221~22ページ
代替曲:
Athens (de Giardini), (Felice de Giardini, 1760年)
Bonar (Brunk), (John D. Brunk作曲, 1904年)
Clark’s Grove, (William A. Ogden作曲, 1872年)
Hillhurst, (Charles C. Converse作曲, 1866年) コンヴァースのペンネームである「Karl Reden」作とされていることがある。
Kingsfold, (Ralph Vaughan Williams,編曲 1906年)
Knightswood, (F. H. Hutchins)
Truman, (Joseph P. Holbrook, 1822–1888)