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■曲の情報

111番「こひつじ 胸に抱くように」

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(CH)」は外部リンクです。
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TUNE = DAVENANT
初行 = I think, when I read that sweet story of old
分類 = イエス・キリスト・生涯
主題 = 選び キリストの生涯 
聖句 = マタイの福音書19章14節
採用歌集番号 = 『讃美歌』467番 (改訳)

作詞:Jemima T. Luke,1813-1906 (CH)

作曲:William Davenant,1606-1668

歌詞:ジャミマ・T・ルーク、1841年。
1930年代の初期に、讃美歌学者の一人が、これは世界で最も知られ、最も広く歌われている子どもの讃美歌であると評した。

曲:1859年に、ウィリアム・B・ブラッドバリーによってギリシャ民謡から編曲された。

代替曲:
EAST HORNDON、民謡、『The English Hymnal』(ロンドン、Oxford University Press、1906年) 595番。

エピソード:
ルーク夫人は、「1841年に、私はグレイズ・イン街の幼児園に、ある制度のことを調べに行きました。そこは後にリビングストン夫人となるメアリー・モファット、また幼い時に生き埋めにされていたところをモファット夫妻がk勇士津市、後に自分の娘として育てたサラ・ルビーなどがいました。グレイズ・イン街を、ギリシャの旋律を口ずさみながら歩いていると、私の哀調が私の思いを捉えたので、私はウォッツやジェイン・テイラー、その他の日曜学校の讃美歌集の中で、そのメロディーに合う歌詞を探しましたが見つかりませんでした。家に帰り、またある日、馬車に揺られてトーントンから8キロほど離れたウェリントンの小さな町に、宣教の仕事のために向かっていました。美しい春の朝で、1時間ほどの旅でしたが、その馬車には他に誰も乗っていませんでした。私は古い封筒の裏に、鉛筆で、今ではよく知られている最初の2節を書き止めました。私の義母が支えていた村の学校で、そこに行くのは私の仕事だったのですが、その曲を教えるためでした。3節目は、後でそれを宣教の讃美歌にするために書き加えたものです。父がその学校の校長で、そこで私たちが教えていたのですが、よく1節目を子どもたちに歌わせました。ある日曜日、子どもたちが新しい讃美歌を歌い始めました。父は娘たちの方に振り返り、『この讃美歌はどこから? 私は聞いたことがないんだが。』と尋ねました。『ああ、ジャミマ先生が作ったのです。』と子どもたちは答えました。次の日、父はその写しを欲しがり、私の知らない間に『The Sunday-School Teachers' Magazine』に送っていました。けれどもそれがなかったら、この曲が発表されることはなかったでしょう。」と言っています。ルーク夫人は、この作品に、「これは私の中からではなく、少しの上からの霊感によって出来たものです。なぜならこれ以上に、残しておく価値のあるようなものを私は書いていないのですから。」と書き添えています。
Ira David Sankey、『My Life and the Story of the Gospel Hymns』、ニューヨーク、Harper & Brothers、1906年、281-283ページ。


著作権情報
訳詞:©蔦田直毅