■曲の情報
TUNE = COWPER (FOUNTAIN)
初行 = There is a fountain filled with blood
分類 = 救いの御業・きよめ
主題 = きよめ
聖句 = ゼカリヤ書13章1節, ルカの福音書23章42-43節
採用歌集番号 = 『インマヌエル讃美歌』293番 (改訳)
作詞:William Cowper,1731-1800 (CH) |
作曲:Lowell Mason,1792-1872 (CH) |
これは、クーパーが一時的な錯乱状態に陥るという最初の試みを越えた後に書いた讃美歌の一つである。クーパーは「主の家新聞the Journal to the House of Lords」という組織の書記の地位を約束されたが、仕事に就く前に議会という公共の場で試問を受けなければならないと知らされて動揺した。以下の1834年1月の北アメリカン・レビューの記事には、クーパーの抱えていた葛藤と、神がどのようにして彼を自己破壊に陥らないように守られたかが表されている。
長引く暗黒の夜の間、彼の苦悩はより激しさを増した。彼は、気が狂ってしまえば自分は解放されるのではと希望し信じようとした。彼は自殺を試みようとするほどであった。しかし彼の良心はそれに確固たる証しをもって反対し続けた。いかなる論法でも彼は自分自身を説得することはできなかった。この絶望の中で、彼は自己破壊の手段としての薬物を入手した。公に惨めな姿をさらされる前のある日、彼は新聞の中で一通の投書にふと目が留まった。彼の混乱した精神にとって、それは彼を非常に悪意に満ちた中傷で責めるように感じられた。彼は直ちに新聞を投げ捨てると、荒野に走り出て、そこでのたれ死にでもしようと決意するが、それよりも国外へ逃げ出す方が良いのではと考えるに至った。そして自暴自棄的な思いで逃避行への準備を急いだが、旅行鞄に荷物を詰め込んでいる間にまた考えが変わり、彼は乗合馬車に飛び乗って、タワー波止場に行くように命じたのである。それは、川に行って飛び込み自殺をしようと考えたからである。衆人環視のもと、何とかして自分の目的を達成しようとしたのである。ところが、川が近づいてきたとき、彼は馬車の向きを変えさせ、教会近くに借りていた下宿に連れて行くように命じる。その途中で、彼はアヘンチンキを飲もうとした。しかし、その瓶を持ち上げて飲もうとする度に、発作的な興奮で腕が揺れて、唇に近づけることができなかった。そんな風にしている内に、機会を逸した悔いを感じながらもどうすることもできない中で、苦悶を抱えながら下宿に辿り着いたのであった。扉を閉めて、アヘンチンキを傍らにベッドに身を投げ出すと、とにかくそれを飲んでしまおうと試みた。しかし、一つの声が絶え間なく響いてきて、彼が痙攣してぶるぶる震える指を毒薬に伸ばそうとするごとに、それを明確に止めたのである。
その時、下宿仲間の一人が部屋を尋ねて来たが、クーパーは自分の苦悩を押し隠したので、その人は間もなく帰って行った。すると、彼に気持ちの変化が訪れ、自分のしようとしている行為が何と忌まわしいかを感じるようになり、アヘンチンキの入った小瓶を床に投げ捨てて砕いてしまう。その日の残りの時間は重たくぼーっとした気分で過ごし、夜になっていつものように眠った。早朝3時に目ざめると、彼はペンナイフをとって、欲になると、自分の体重を掛けて心臓に向かって突き立てるのである。幸いなことにナイフが壊れ、心臓を突き刺すことにはならなかった。夜明け頃にまた起きて、彼は首の回りにガーターベルトを巻き付けると、ベッドの枠に橋を結びつけ、自分の体重を掛けて自殺しようとした。その試みは成功し、彼はほとんど意識を失うまでになったが、またしてもガーターベルトは切れて、彼は床に転がり落ち、その命は守られたのである。それでも、彼の葛藤は理性で押さえることができなかった。彼は自分自身を軽蔑の対象と感じ、街中に行くとすべての人が侮蔑と嘲笑の目を向けているように感じてしまうのであった。彼は、自分が余りにも深く神に敵対しており、その咎は決して赦されることはないのではと感じ、その心は失意の悲しみで一杯になっていた。狂気に陥るのは遠くない、いやもうすでに気がおかしくなり始めているとさえ感じていた。
こうした状態から回復した後で、クーパーは、神が本当にどんな罪のしみさえも消し去ることのできるお方であることを理解できるようになったのである。